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医学部ブログ-タクのプロフィール-浪人からの旧帝大医学部合格エピソード

 
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クリリンの友達。一浪で旧帝医学部に合格。趣味はスキーとサイクリング。好きな名言は「逆境は最高の教育である」

こんにちは、タクです。

今まで、「医学部入試の難しさ」と「春休み勉強法」の2本の記事を書かせていただいたのですが、そもそもお前誰だよ(‘_’)、って感じだと思うので、自分の今までの経歴や受験エピソードを話していきたいと思います。

自己紹介

僕はある旧帝大の医学部医学科に所属している学生で、クリリンの友達です。

受験についてはこの後じっくり話していきますが、一浪の末、現在の大学に入学しました。

大学では運動部に所属し、また1年生の時からやっている飲食系のアルバイトをバリバリやりつつも、家庭教師もやってたりしました。

これからどうぞよろしくお願いしますm(__)m

それでは僕の今までの経歴について話していきたいと思います。

スポーツに明け暮れた少年時代

僕は両親がともにスポーツをバリバリやってた感じだったので、「スポーツを通して男の子は成長するんでしょ!!」みたいな考えのもとで育てられました。

色々やらせてもらいましたが、主にやっていたのはサッカーと水泳。サッカーはその地区の上手い子たちを集めるトレセンにも選ばれたり、水泳では選手コースに入ってガツガツ泳ぎこんでいました。

勉強は全くやっていなかったのかというと、そうではなく、幼稚園の頃からやっていた公文式をずっと続けていました。やればやるほど高度な計算や英文読解ができるようになっていくのが楽しく、常に3学年先の勉強をしていました。結局公文式は中2までやっていたと思います。

スポーツも勉強も本気。そんな感じの少年時代でした。

勉強が好きになった中学校生活

勉強をガツガツやっていたというものの、特に目的意識もなかった小学校の時に比べて、中学校ではテストの点や内申点にはっきりと学力が反映されるようになります。

自分の努力が形になるのが嬉しく、定期テストにむけてコツコツ勉強していました。

中学1年では年間を通して学年で5位以内に入り、なんとなく家から近い進学校に入りたいと思うようになります。

中学2年の時に通っていた公文式の先生に、のちに自分の母校となる高校を紹介されます。そこは県内で公立のトップとされる高校だったのですが、自由な校風や生徒の個性を互いに尊重する空気感(「変な人が面白い」みたいな。京大に似ている雰囲気ですね)がとても好きになり、その高校を志望校にします。

この高校、マジで楽しそう。

こんな感じで志望校を決めましたね。

どうせ勉強を本気でやるならトップを目指す、ということもモチベーションの維持にとって良かったと思います。

ここまで勉強中心の中学生活のようですが、中学校でもサッカーは続けており、基本的に生活の中心はサッカーでした。

テスト2週間前になったら勉強するというリズムを中学2年まで続け、3年になって塾に入り、無事志望校に合格しました。

クリリンとは違い、高校受験において逆転して合格したようなエピソードはないですが、コツコツと頑張ることの大切さと、勉強において努力は報われることを高校受験を通して学ぶことができました。

高校生活スタートと恩師との出会い

高校入試の結果が出たあとに、通っていた塾の勧めで、とある塾の春期講習に参加します。

そこが新たな出会いでした。

その先生は教室に入ってきたとたん、

「東大以外、目指さないでください」

??

と教室全体がなりましたが、こう付け加えていました。

「別に東大じゃなくても良い。あなたがやりたいことを本気でやれる、一切の妥協なしに目指す場所を見つけてください。」

「人生が100%変わる最後のチャンスは大学受験です。別に学歴のことを言っているわけではありません。そこで出会う、学生やスタッフ、環境のことを言っているんです。これがあなたを変えなければ、何によってあなたが変わるのか」

衝撃でした。

なんとなく地元の大学に行けばいいと考えていた僕はあっけにとられていました。

その先生は結局、初回の授業では問題の解説などほぼすることなく、受験と人生の話で終わったのですが、教室に入るときと出た後では自分は全く違う人間になっていました。

勉強を頑張れば、どれだけでも可能性は広がるんだ

新たな世界が見えたような気がして、わくわくが止まらなかったのを覚えています。

とはいえ、勉強ばかりというのも違うと考え、サッカー部に所属し、基本毎日サッカー漬けの日々でした。

毎日部活が5時半に終わり、その後塾の自習室へ行く。この生活リズムが高校1年の時からできていました。

1年生の時は塾で英語と数学を受講。

学校での成績は年度末の実力テストで上位3割のあたりでした

自分より上位に50人ぐらいいるのは悔しいけど、こんなもんかな~

ぐらいに考えてましたね。

この時点での志望校は中堅レベルの国公立大学医学部。

ヒトの体の構造や機能に興味を持ち始めたのと、医師という仕事にやりがいがありそうだなと考えて医学部を志望しました。

先ほどの恩師に相談に行ったとき、「もっと上を目指せる力があるのに、なぜ目指さないのか」と言われたのを覚えています。

安定志向な考え方の自分だったので、そう言われても特に何も感じなかったですね。

「医学部に良ければ十分!」と考えていました。

京大医学部への憧れ

高校1年の終わりに、京都大学のiPS細胞研究所に勤めている高校のOGが講演をしにやって来ました。

どんな研究をしていて、また研究者がどんな生活をしているのか。色々な面白い話を聞かせていただけました。京都大学の雰囲気も楽しそうな感じでした。

学生の時から最先端の研究について学んだり、見学出来たり、もし可能なら参加させてもらえたりしたら楽しそうだな、、

少しずつ京都大学への憧れが芽生えていきます。

半年ほど時間が経ち、高校2年の夏に京都へ家族旅行に行きました。

あまり興味がない家族に頼み、京都大学を見学することに。

歴史ある校舎、広大な敷地と研究施設、そして京都の街並み。ここで大学生活を過ごせたら最高だろうな、と心の底から思いました

そして志望を京都大学医学部に変更

ここが自分の大学受験のスタートだったと思います。

高校1年の時と同じように部活をやりつつも、部活終わりや休日は自習室で勉強していました。

そして年度終わりの実力テストでは総合で学年10位以内に

ここまでは本当に順調だったと思います。

甘かった現役の受験

何か一つ飛びぬけているというわけでもなく、全体のバランスで上位にいた自分。

京大の模試でもそのことは如実に表れていました。

夏と秋の模試では一つを残して、すべて一番悪いⅮまたはE判定

しかし高校の中では決して悪い成績ではありませんでした。京大の他の学部のA判定は余裕で超えていましたし、校内順位も10位前後をキープしていました。

そして数学がとてもうまくいった一つの模試ではB判定。

もしかするともしかするんじゃないか

という甘い考えで、自分の現状に向き合うことなく、何となく「やるべきだろう」と自分が思ったことをやっていました。

ここが今考えると敗因でしたね。

現実は甘くありませんでした。

センター試験は約92%と良かったものの、京大入試本番では数学を取りきれず、あっけなく不合格。

後期入試で広島大学医学部を受験しましたが、そちらも不合格でした。

自分の弱点に向き合うことなく進み続けた1年間の結果だったわけです。

絶望

順調に来ていたと思っていた自分には、「お前は世界に必要とされていないよ」と言われているようなものでした。

味噌汁とご飯を食べるだけに1時間以上かかったこともありました。

周りにいる人が全員幸せそうで、下だけを向いて歩いていたこともありました。

本当につらい1年の始まりでした。

浪人生活-自分との戦い

「この1年で必ず決めるぞ」

この覚悟と共にスタートしました。

予備校はメンタルの維持にも良いと思い、高校の友人が多くいく所を選びました。少し話は逸れますが、この選び方は本当に良かったです。受験において学力はもちろん重要ですが、それと同じぐらい、自分と向き合う力や忍耐力、そして本番で力を出し切るメンタルのコントロールが大切です。浪人の一年間は自分との戦いではありましたが、それ以上に家族や友人、予備校の先生など多くの人に支えてもらった1年でした

浪人の1年間、自分のなかで決めたルールは3つ。

・予備校のテキストと、教科ごとに網羅系の問題集を完璧にする。

・ミスをすべてノートにまとめる。弱点分野を見つけたら、その分野の予備校のテキスト、今まで使っていた問題集をすべて解く。

・一か月に一度は家族と買い物であったり、ご飯などの息抜きをする。

現役で合格した友人は楽しそうにやっているのに、自分は何をしているのだろうかと悩むときもありましたが、浪人仲間や家族に支えられて、何とか頑張ることができました。

夏の模試まで学力は着実に上がっていきました。

迎えた夏の京大模試。

全て一番下のD、E判定

この時点で京大はきっぱりと諦めました。よっぽど自信や野望がある人はここでも諦めず、より一層努力をすることができるのだと思いますが、自分はそういう人間ではないのだと痛感しました。

クリリンは模試において判定は似たような感じでしたがここから京医合格を勝ち取っています。そんなクリリンのことは本当に尊敬してます。

関連記事
クリリンの受験エピソードはこちらからどうぞ。

 >>関連記事:京大医学部ブログ-クリリンのプロフィール-逆転合格エピソード

ここで旧帝大レベルの大学の医学部に志望を変更します。

浪人を始めたときに決めたルールでそのまま勉強を続け、秋の模試のシーズンへ。ある旧帝大の模試を受けます。

結果はなんと全国で1位

感触がすごく良かったわけではありませんでしたが、全体的に満遍なくできた感じでした。

率直に「こんな簡単なんだ」と思ってしまったのを覚えています。

京大医学部なら受かるかどうか分からないが、ここなら本番で多少のアクシデントが起きても受かる。もう1年浪人はしたくない。ここを受験しよう。

こういう感じで最後は決めました。

とはいえ、実力的に確実に受かるであろうという時でも何が起こるかわからないのが受験。というよりも自分としては確実に受からなければならないこの状況でもし落ちてしまったらどうしようというプレッシャーでいっぱいでした。

2度目のセンター試験は緊張しすぎて現役時よりやや低い点数を取ってしまうものの9割近くを取ることができ、予定通り今通っている旧帝大の医学部に出願しました。

そして二次試験本番。

朝から吐きまくっていました(笑)というか2週間前からプレッシャーにやられて、食べては吐いてを繰り返していましたね。

最初の科目の数学でまさかのズッコけるも、英語と理科で挽回し、何とか「ギリギリ受かるかな」と思えるラインに。「全国1位まで取っておいて何をやっているんだ」と自分を責める気持ちもありました。(後日点数開示では真ん中より少し上の順位で受かっていました。)

受験後は家族に「多分受かっているだろう」と伝え、万が一のために後期入試の勉強をしていました。

というか、合格発表までの2週間弱は何をしていても落ち着かず、勉強している時が一番楽でした。

そして、ついに合格

合格発表の朝、発表時刻の10分前に目が覚めました。ギリギリまで寝ていたいと思っていたのでちょうど良かったです。

そして合格発表の時間に。

震えながら、ベッドの布団にくるまりながら、おそるおそるページを開き、自分の受験番号の位置までスクロールしていきます。

あった。

信じられず、何度も何度も確認しました。目をこすってみても、僕の番号はそこにあったのです。

涙があふれだしてきました。

親や親戚、そしてお世話になった友人に片っ端から電話をかけていきました。

こうして僕の大学受験は終わりました。

僕が発信していきたいこと

僕はクリリン以上に自分は失敗や挫折を多く経験してきていると思います。

そんな自分がなぜ失敗をし、そこから合格するために何を考えて実行したのか、ということを軸にして、色々なテーマについてこのブログでは発信していきます。

加えて、冒頭でもお話しましたが、受験においてメンタルコントロールはとても重要です。本当に合否が変わってきます。受験期、そして直前期のメンタルコントロールについてもお話ししていければと思います。

ブログを書く目的や目指す方向はクリリンと一緒です。おもしろく、興味が惹かれるような、そして受験生の方々のタメになるような発信をしていきたいと考えていますので、これからどうぞよろしくお願いいたします。

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医学部入試の難しさについてこちらで解説しているので良かったら読んでいってください。

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