京大医学部ブログ-クリリンのプロフィール-逆転合格エピソード

はじめまして。クリリンです。
YouTubeでは自由気ままに動画を出していますが、せっかくなのでこのブログでは主に大学受験のことについて、まったりと話していこうと思います( ̄∀ ̄)
さて、僕は公立中学、公立高校を経て京大医学部に現役合格したわけですが、一見順風満帆そうに見えるこの経歴も、その裏では
- どんどん下がっていく成績
- 悪くなっていく模試の判定
- 全国最高レベルの頭脳と戦うプレッシャー
など多くの壁に直面し、悩み苦しんだ日々があります。
ここでは、僕がいかに平凡で、いかに努力をしてきたか、京大医学部合格までの道のりをすべてお話ししていきます。
周りとなんら変わりない幼少期時代

京大医学部ともなると、やはり両親が教育熱心だったりして、小学校受験や中学受験などいわゆる英才教育を受けてきた人が多いのも事実です。そんなイメージもあってか、
「やっぱり幼いころから特別な英才教育を受けてきたんでしょ?」
と聞かれることがすごく多いのですが、
そんなことはありません。
幼稚園の頃の習い事と言えば「水泳」ぐらい。
小学校に上がってからは「公文式(KUMON)」をはじめたものの、長続きはせず小学2年生であえなく撃沈。
小学校には勉強ではなくドッジボールをする目的で通い、放課後には友達と公園に遊びに行く毎日の繰り返し。
将来のことを考えることなど一切なく、「今」が楽しければ何でもいいという“子ども”の典型そのものでした。
中学校にあがってようやく勉強と向き合う

楽しい小学校時代も束の間で、そのまま近所の公立中学校に入学します。入学式を終えて、はじめましての担任の先生に言われたこと。
「中学生になったら勉強しなくちゃいけないですね!」
そうなの???
単純な僕はこの言葉に感化され、勉強に対する意識が少しずつ変わっていきます。
しかし、入部したバスケ部が平日は毎日朝練、土日祝休みなしの超ブラック部活で体力を使い果たし、とりわけ勉強のモチベーションがあるわけでも無かったことも相まって、普段はサボりっぱなしでした。
そんな中迎えた人生初の定期テスト。テスト週間は部活が休みだったため、部活の体力のことなど考えることなく死ぬ気で勉強しました。
結果:300人中100位くらい。
微妙…。
まぁ嬉しくもなく悲しくもなく。そんな感じで、中学1年生は成績が特に大きく変動することもなく、部活とテストのサイクルを無為に過ごしました。
医学部を目指すきっかけ-ある人物との出会い
中学1年生が終わるころ、テレビのニュース番組で僕はある人物の存在を知ります。
心臓血管外科医の天野篤先生です。

覚えている方もいるかもしれませんが、天野先生は第125代天皇上皇明仁の狭心症冠動脈バイパス手術を執刀することで一躍時の人となりました。手術件数は年間400件以上(平均は50件)、成功率98%という驚くべき実績を持つことから「神の手」を持つ医師と呼ばれています。
このお方がまた凄まじい経歴と知識の持ち主で、本当に良い刺激を与えてくれます。興味のある方は是非以下の記事も読んでみてください。
>>関連記事:心臓血管外科医-天野篤教授の名言をその経歴から掘り下げる
その中で一つだけ。天野先生の父親は心臓が悪く、その心臓手術に第一助手として立たれました。しかし、心臓に縫い付けた人工弁の糸が1本緩み、それがきっかけとなって、父親は永眠。
目の前で父親を失った天野先生がおっしゃった言葉です。
自分のね、天命、決められたものあるでしょ。
「プロフェッショナル 仕事の流儀」 天野篤 より
それに対しては忠実にやってるだけですよ。
ま、宿命かな。(笑)
不本意な父親の死が、天野先生の「神の手」を生んだのです。
僕は基本的にキレイごとは好きではありませんが、天野先生の経歴があるからこそ、この言葉には一瞬で引き込まれてしまいました。
医学部を目指そう。
それ以来、僕の勉強に対する姿勢は劇的に変化しました。
部活が忙しい中でも、授業は真面目に受け、隙間時間があれば一つでも多くの知識を蓄える努力を続けました。
中3の夏に部活も引退し、塾にも通い始め、ともかく最大限の努力をしました。
すると成績は爆発的に上がっていき、最終的には学年4位まで上り詰めたことを覚えています。
トップ高校に合格
成績が上がったのでもちろん志望校も上げます。
僕は名古屋出身なのですが、全国的にも有名な進学校「東海高校」と、それと対等する名古屋のトップ公立高校を受験しました。

結果は両校とも合格。努力が報われることの喜びと素晴らしさを知りましたね。
どちらに進学するかとても迷いましたが、最終的に公立高校に進学を決めました。その理由についてはこちら。
>>関連記事:有名私立の東海高校を辞退して公立高校に進学した理由
文武両道の充実した高校生活

進学した公立高校はとても自由な校風で、私服登校も黙認され、基本的に“自分のことは自分でしろ”のスタイルです。課題も最小限で、自分のしたいように生活ができる、いわば大学のような高校です。
それでも優秀な学生の集まる高校というだけあって、部活に熱を注ぎ込みながらも、勉強にも真面目に取り組む「文武両道」を絵に描いたように体現する人ばかりでした。
そんな人財に囲まれながらだったので、僕自身もだらけることなく、文武両道を目指して努力を続けることができました。
部活は中学でブラック部活に入ってしまった反省を活かし、勉強に支障をきたさない程度のゆるさであったテニス部を選択。当時の硬式は部の雰囲気が少し怖かったので軟式に入りました。
そんなこんなで、しばらくは部活と勉強に明け暮れる毎日を過ごしていました。
京大医学部を志し、高1夏から受験勉強スタート
高校で勉強する内容がまだ全部把握できていない高校1年生のうちは、目標とすべき学力にイメージが沸きませんでした。でも医学部は難しいって言われてるし…。
そんな中、高校1年の夏期講習を受講した時に、当塾の人気講師がこんなことを訴えていました。
高1のうちから身の丈に合った志望校を設定して受かった人など見たことがない。現実なんて見なくていい。自分もビックリするような志望校を選んでやれ。志望校を下げるのはセンター(当時の共通テスト)が終わった後だ。
某塾 人気講師 より
もちろん僕は単純なのでこの言葉に感化され、とりあえずは身の丈とは程遠い京大医学部を志望校にしてみようという軽い気持ちから始まりました(東大理Ⅲは恐れ多すぎて選べませんでした・・・)。

それからというもの、バカ正直な僕は京大医学部に合格するためには死ぬ気で勉強しなければならないと思い、部活と寝る時間以外はすべて勉強に充てました。
つまり、高校1年の夏から受験勉強を始めていたのです。
当然、そんな時期から勉強してる人なんて一握りで、成績は比較的順調でした。校内順位上位1割をキープ。初めて受けた河合塾全統模試(判定が甘くでやすい)ではB判定でした。
あまりにも順調すぎたので、
「ひょっとしてこのままいけてしまうのでは…?」
と思ったこともありましたが、それは幻想だったのです。
苦悩の日々の始まり

それからの高校生活も、球技大会や文化祭などの学校行事にも積極的に参加しながら、勉強に気を抜くことはなく励んでいました。
ところが、校内順位はそれなりに上がっていくものの、模試の成績は右肩下がり。やはり京大医学部は甘くはありませんでした。
私立勢が徐々に力を見せ始めたのです。
僕の危機感は頂上まで達し、高校2年の冬以降、睡眠時間は3時間程で、すべてを勉強につぎ込みました。
それでも成績はどんどん落ちていく。
高校3年で一番信頼のおけるといわれる、本番までに受ける最後の冠模試の結果
E判定
残酷な現実を無情にも突き付けられます。実際の模試成績表は以下の記事に載せておきました。
>>関連記事:京大医学部の高校3年間の模試成績
「勉強しても追いつけない」
「何をしても無駄」
そんな言葉が頭の中をよぎって、精神的にとても不安定になり、時には自然と涙を流してしまう夜もありました。
それでも、今の自分にできることを探し、最後の最後まで自分の最善を尽くします。
受験当日
結局、志望校を下げることもなく京都に来てしまいました。
「ここで引いたら一生後悔する。」
そう思ったからです。
周りの人たちは全国最高レベルの頭脳の持ち主じゃがいもです。

迎えた1日目。
数学の神様が僕に舞い降りました。
あまりの出来の良さに、我慢しきれず解答速報を確認してしまいました。
結果は6問中5完半。2日目の科目が多少悪くても合格圏内です。
2日目。超難化を想定していた僕は恐る恐る問題をみるも、例年とそう変わらない。物理はむしろ易化?といった感じ。無難に乗り越えられました。
3日目。面接です。非常に穏やかな面接で、難なく突破。
総合的には好感触でした。「もしかしたらもしかするぞ」と、合格発表の日が待ち遠しくも感じられました。
合格発表
運命の合格発表です。
受験で長らく歯医者に行けていなかったので歯医者の予約を取ったのですが、合格発表の時間と被ってしまいました。結果は歯医者の待合室で見ることに。
時間になりました。スマホの画面上に数字がズラッと並びます。僕の番号は…

あった。
この瞬間顔が真っ赤になり、涙が噴出してきます。
周りから見たら歯医者で急に泣き出す奴になってしまいましたが、そんなことどうでもいい。
ここまで支えてくれた両親、共に頑張ってきた友人、その他学校の先生や予備校の講師など、お世話になった人への感謝で溢れ、思いつく限り全員に報告とお礼のLINEを送りました。
これにて、僕の大学入試は閉幕します。
(((ちなみに小さな虫歯もありました。)))
僕が情報を発信する理由
僕は単純な性格もあってか、周りの人の言葉に影響され続ける人生を送ってきました。
「言葉」には人の人生を左右させる重大な力があるのです。
ただし、「言葉」には2種類あります。
1つ目は、ただ周りの情報に振り回され、知識も経験もない人の言葉。
2つ目は、自らが育んだ知識と経験に基づいて、確固たる信念のもと発された言葉。
人の人生に影響を与えることができるのはやはり後者のみで、その言葉には深みと重みがあります。
もちろん、僕が京大医学部に合格したのは運が良かったこともかなり大きいと思います。上でもお話ししたように、高校時代の僕の成績は決して良いものではなかったため、「お前が受かったのはたまたまだろ…。」と言われても仕方がありません。
それでも、僕は人一倍の努力を通して知識と経験を積んできたと自負しています。
僕自身がまわりの人の言葉に人生を変えるきっかけを貰ったように、
僕自身もこの記事を読んでくれているあなたにとって人生の転機となるような言葉を送りたい。
そんな深みと重みのある言葉を届け、あなたの人生に活力を与えられるよう、これからも情報発信を続けていきたいと思います。
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〇京大医学部ブログ‐逆転合格体験記-最初に伝えておきたいこと
逆転合格体験記のホームページです。
受験勉強において大前提となる心構えについてのお話しを書いています。とても重要なことなので是非最後まで目を通してみてください。
◯【保存版】効率の良い勉強法の基本-必ず知っておきたい勉強の王道まとめ
受験に臨むに当たって、大前提となる勉強法の基本をまとめておきました。
一般に知れ渡っている「王道」と言われる勉強法は、多くの人の成績を上げ続けているからこそ「王道」と呼ばれているわけであるため、是非1度は試してみるのはいかがでしょうか。
Comment
テストで緊張で頭が真っ白になってとける問題も解けなくなってしまいます。演習不足といわれればそれまでですが、クリリンさんが最近の動画で過呼吸になっていたと聞いて同じものを感じてコメントさせていただきました。緊張との付き合い方の記事が読みたいです。自分は高2で、1年では頑張っていましたがコロナ休みで緊張の糸が切れだらだらし、どうにでもなれ効果により現在ツケが回ってきているにもかかわらず投げ出そうとしていた者です。クリリンさんの動画に出会ってから自分に対して不誠実な態度をとってしまいそうな場面もクリリンさんが思い浮かんでもちなおすというような形でクリリンさんに人生をじわじわ変えられている者の一人です。
赤チャートは単元ごとに例題 練習 章末問題をしていましたか?
初学は単元ごとです。
高校一年生の夏から寝る時間以外はすべて勉強に費やしていたのですか?
YouTubeでクリリンを知りました。(親しみを感じているので(?)敬省略。すみません笑)
確かに、クリリンの言葉には重みがあるし信念も感じられます。
自分は大学一年生だから大学受験は終わりました。しかしクリリンの言葉でストイックに生きたいと思いました。
結局やるのは自分ですが、クリリンにはとても刺激をもらっています。色々と発信頑張ってください。
私もほどほどに頑張ります笑